弟子になる。
私の中で、親方である東澄雄から“より多くのものを学びたい。”と願うようになったのは、おそらく職人を始めて10年ぐらい経った頃です。
だから、いわゆる〈弟子〉のようなものになるまでに、10年かかっています。
よく申しあげますように、私は日本のコントラバス メーカーであるOrienteに修行に入ってから、最初の4年間は楽器を作らせてもらえずに、雑用ばかりでした。
そして5年目に入った頃から、楽器製作をさせてもらえるようになりましたが、親方や先輩職人から、何か具体的な指導を受けることはなく、ただひたすらに周囲の職人たちの仕事を見よう見まねで覚え、技術を身につけていきました。
結局、Orienteに入ってから最初の10年間は、自分自身のことで精一杯で、親方が何を考え、何を目指しているのかなどを知ろうとはせず、全く理解できていませんでした。
職人となって10年ほど経って、心にも少し余裕ができて、やっと親方の〈思考〉に意識を向けられるようになりました。
私は、そこで初めて、“あぁ、この人に付いて行きたいな。”と思うのです。
そして、私の想いに気がついてくださった親方は、何も言わずに、これまで以上に、より厳しい親方となりました。
職人として10年経って、弟子になる。
弟子となる者が、親方の職人としての〈想い〉を受け継ぎたいと願う。
弟子の側に、受け入れる意思と準備(技術的なものも含む)ができた時、初めて親方は、全身全霊をかけて、職人としての〈想い〉を弟子となる者へ伝える。
だから、私と親方である東澄雄との師弟関係は、それを築き上げるまでに10年の時間がかかりました。
弟子になる。
それは、師のそれまで人生を背負うこと。
弟子の都合で、取捨選択はできない。
師から伝えられるものは、全て受け入れる。
受け入れ継承し、継承した者は、それを次世代に伝える義務が生じる。
弟子になった時点で、その先、自分自身にとって都合の良い生き方はできません。
受け継いだ者としての責任があるからです。
私の職人としての行いの全てには、その向こう側には『東澄雄』という存在がある。
『親方』は、職人において〈親〉です。
私が職人として社会へ出た時、何か功績を残した時に、何か大きな失敗をした時に、私の本当の親の名前は出てきません。
でも、親方である『東澄雄』の名前は必ず出てきます。
『親方と弟子』または『師匠と弟子』という関係性は、そういうものです。
私が職人を辞めるまで、『東澄雄』の名前は必ず着いて回る。
だから本来は、軽々しく〈師匠〉や〈弟子〉という言葉を使うべきではないと思います。
その言葉を使うには、それ相当の〈意味〉と〈覚悟〉が必要です。
私自身、〈弟子〉というものに不自由を感じることは多々あります。
不自由です。非常に不自由です。
私の下手な行いは、師である東澄雄の顔に泥を塗ることに直結しています。
私が職人であり続ける限り、私の人生は拘束され続けます。
それが、弟子というものです。
ただ、そこには誇りがある。
師から信頼が得られたからこそ、継承が許された。
伝える者が命懸けにならなければ、伝えられない。
受け取る者が命懸けにならなければ、受けられない。
どちらか片方では、絶対に成立しない。
それが職人の継承です。
Orienteの二代目も、親方の跡を継ぐと決心するまでに10年の時間を費やしました。
それまでは、“俺は親父の後は継がない。”と、事あるごとに公言していました。
ある時、二代目は私に言いました。
“俺な、やっぱり親父の後を継ごうと思う。 そうしたら、助けてくれるか?”
“あぁ。いくらでもサポートしますよ。”と、私が言ったのは、言うまでもありません。
その後、二代目が“俺は親父の後を継ぐ。”と親方に言った時、てっきり喜ぶかと思いきや……
“なんやっ!! お前、後を継がないって言ったやんけ!!”
と、大激怒したという……。
後々になって親方から聞いてみると、その頃、親方は二代目は絶対に継承しないと思い込んでいて、外部から経営者(候補者は職人でもあった)を呼び入れようと考えていたそうです。
“そこは…ほら、やはり『Orienteを継承する』って、相当な覚悟が必要じゃないですか…。”
と私は激怒する親方に対して、必死で二代目を擁護したわけですが、今思えば、そこから独立するまで、私の、親方と二代目の喧嘩の仲裁役が始まったような気がします…。
そういう意味では、二代目も親方の〈弟子〉となるまでに10年の時間が必要でした。
師匠と弟子の関係性って、冷静に考えると、そう簡単に成立するものではない。
伝える側にしても、すぐに逃げてしまうような者では時間と労力が無駄になる。
受け取る側にしても、己の人生を捨てる覚悟がなければ、受けきれない。
伝える側、受ける側の歯車がピタリと噛み合って、初めて成立する師弟関係。
こんなものは時代錯誤も良いところで、間違いなく消え去る文化です。
おそらく私は、世の中の職人たちの中で〈弟子〉と呼ばれる最後の世代でしょう。
あとは残っていても、一般に触れることのないような、本当に伝統文化の小さな世界でのみ、受け継がれる文化のような気がします。
弟子になる。
もはや『弟子になるための時間』も許されないほどに、時間の流れは早く、効率化や生産性が叫ばれる。
まぁ、世の中がそれを求めているのですから、この師弟の文化が消えていくのも、素直に受け止める必要はあるかと思います。
私自身、弟子を作って継承するという形は、もはや諦めています。
Comments