地に足をついた生き方を

地に足をついた生き方を忘れると、色々と面倒なことが起きてくる。  教訓というよりも、職人として生きてきた経験とでもいうか。    インターネット社会が日常になって、誰でも自己アピールできる時代にもなって、とにかく何でもかんでも大袈裟(おおげさ)になってしまったな、と感じます。  10年ほど前でしょうか、私の馴染みの道具屋と話をしていた時に、道具屋はこんな話をしてくださいました。 “近年、インターネットが普及して、急に鍛冶屋(かじや)の個人名が世の中の表舞台へ出てきました。昔は私たち(道具屋)が腕の良い鍛冶屋を探しては大切に支えてきたものですが、使い手(大工)などの口コミや、鍛冶屋自身がインターネットで発信(・直売)するようになって・・・それはそれで良いことなのですが・・・何でしょうね、やはり慢心というか何というか、急に有名になることで、実際、品質が落ちてしまうという事例が、少なからずありますね。”

 そんな話を聞かされた時、私自身、漠然(ばくぜん)とした慢心への恐怖というか、警戒感というか、そういう感覚が、ずしりと心に突き刺さった思いがあります。      まぁ、職人なんて生き物は『完全実力主義』であり『結果至上主義』の世界に生きていますから、少なからず、己の腕を自慢したいと思う心はあるわけです。  ただ、私たちは芸術家ではないので、私たちの働きがゴールなのではなく、逆に音楽に生きる人々の(表現の)スタート地点で待機している立場なのですから、そこは自制心を持って佇む(たたずむ)必要性があるわけです。  そして、その心を養うのが『修行』というわけですね。        『絃バス屋』なんてものを経営しているのですから、当然、この店をPRして、多くの方にご来店いただかなければ簡単に潰れてしまうことも理解していますが、だからといって、大袈裟に何かを主張するのは、私のこれまでの職人としての生き方とは違うと感じています。  どうも『感性の上澄み(うわずみ)』のような薄っぺらいもので仕事をするのではなく、『感動の押し売り』のような表現でPRするでもなく、私が歩んできた職人としての生き様の上に成り立った経営をしていく以外に方法は無いのかな、と感じています。    信念を貫いて潰れるのなら、それもまた一興。  開業するときに、そんなことを思いました。