この一週間、急患が飛び込んで来たり、予想外の出来事が起きたり、仕事の段取りを組み上げるのに神経をすり減らしてきました。 職人にとって最も重要なことの一つは『段取りを組む』ということです。 頭の中で、きっちりとスケジュールを組み上げて、それに沿って作業を進行していく。 気まぐれでダラダラと作業時間を費やすようでは〈職人〉とは呼べません。 そんなわけで、ここ数日は、思考をフル回転。 仕事を終えてからも緊張状態が解けずに、さらに疲労が増します。 京都での修行時代には、これが日常でした。 精神は常に緊張状態。 毎日毎日、自らを追い込み、精神の限界ギリギリのところで楽器を作り続ける。 2年ほど前に投稿した、我が家の伝説の『牛乳1リットルを撒き散らした事件』は、そのような日常の中で起こりました。(下のタグで検索して見てください) この頃は、まだ可愛かった。 Oriente での修行を終える5年ほど前からが、緊張の絶頂期です。 仕事を終えて帰宅しても、子供たちは私に怯えて声をかけてきませんでした。 今考えると異常のような気もします。 …しかし職人としては、それが当たり前のようにも感じます。 『牛乳1リットルを撒き散らした事件』も同じ状況ですが、仕事を終えても、精神の極限の緊張状態が抜けいない。 もはや、なんで怒っているのか、自分でもわからない。 “これでは、家族が崩壊してしまう。” と危機感を感じたので、私は、対策を考えました。 仕事から帰ってきたら、2時間ほど自室に閉じこもって出てきません。 緊張感が緩むまで、じっと自室から出てこない。 それが日常になりました。 おそらく、私が独立開業せずに Oriente の職人として二代目を支えている立場だったとしたら、今でも同じように、仕事から帰宅したら2時間は自室から出てこない生活をしているのでしょう。 今の職人としての生き方と、修行時代の職人としての生き方。 どちらが良くて、どちらが悪いというわけではありません。 やはり、職人として生きていく以上、何かを犠牲にして自分を追い込まなければ得られないものは多い。 職人は、結果こそが全てです。 努力をしなくても結果を出せば、それで良い。 ただし、やはり努力をしなければ、結果は出てきません。 職人にとっての努力とは、己の精神と肉体が崩壊する領域に身を置き耐え続けることです。 それ以外には無い。
ただまぁ、また修行時代のような苦行・荒行のような生活に戻れるかというと…私には、ちょっと自信はありません。 私は軟弱な男になりましたね。