我が家の高校生の娘と、この先の進路の話をすることが増えてきまして。 そうはいっても、私は高校2年生の秋頃には、この仕事が決まってしまっていたので、全く〈進路〉というものに悩んだ経験もなく、長女の話を “ふむふむ。” と聞くばかりです。 職人でも、今では高卒というのは珍しい。 いや、私の時代でも高校を卒業してすぐに修行に入るということは、珍しい時代になっていました。 特に現代では、就職の際の採用基準が(弦楽器製作の)専門学校の卒業が必須であったり、大学を卒業してから弦楽器職人を目指す人も増えてきたので、不思議と、この世界も高学歴化が進んでいます。 大卒はともかく、専門学校卒業が採用基準というのは、『もう、高卒の完全な素人を、一から(初めから)育てる体力が雇い主の側に無い。』という話は、よく同業者から耳にします。
私などは、最初の丸4年間の下働きの頃などは “楽器も作れない奴に金を出している(給料を支払っている)、俺の身にもなってみろ!!” と、よく親方から叱りつけられたものですが、まさにその通りであって、職人一人を育て上げるのには、膨大な時間と金と労力が掛かるわけです。(何度も言いますが、決してブラック企業では、ありません。) 私がオリエンテで修行をしていた頃、親方は “大卒は採用しない。” と話していました。 もし私と同じように育てるとして、22歳で採用して4年間の下働きを終えた頃には26歳になるわけで、“社会的な立場を考えた時に、大卒を採用するのは、ちょっと・・・な(可哀想な気がする)。” というのが、採用しない理由だそうです。 私も、理想を言えば、『伝統を継承するという前提の職人』であれば、少しでも若いうちから修行を始めた方が、理想的な形で〈継承〉というものが成されるのかな、と思います。 私の親方もそうですが、私は幾人か中学校の卒業と同時に修行の道に入った職人(業種は様々)にお世話になってきました。 そのような人々は、職人としての根の張り方が、私とは全然違います。 単純に『若い頃の(技術や知識の)吸収は早い』というだけではなく、15歳にして一人で社会に出て働く決意や覚悟が、私のような高卒(18歳)とは全く違うわけです。 以前、私の父親の友人でもある大工の棟梁から “君は高校を卒業をしてから修行の道に入ったけど、僕は中卒だからね。 君は高校の3年間、遊ぶことができた。 わかるね? しっかりと修行をしなさい。” と、言葉をいただいたことがあります。 もちろん、私のことを可愛がっていただいていたからこその励ましの言葉なのですが・・・・・・親方の、その目は据わり(すわり)、柔らかくも気迫に満ちた言葉に、私は恐怖のあまり背筋が寒くなった記憶があります。 しかし、それこそが『人生の全てをかけて〈職人〉として生きる姿』なのだと感じました。 〈技術〉というものを身につけるのであれば、実際のところ、さほど年齢というものは関係ないようにも思います。 ただやはり、『世代を越えて、受け継がれる技術』となると、それは単純に〈技術〉というだけの話ではなくなってくるので、可能であれば若いうちから〈親方〉という存在の下で、ある程度の年月の修行は必要なのかな、と思います。 そうは言っても、これからの時代、ますます『修行をする』という環境が少なくなっている中で、もはや中学校卒業と同時に修行の道に入るということは途絶えたようなものですし、私のような高校卒業と同時に修行をいう道も閉ざされつつあります。 そう考えた時に、伝える側の熱意もそうですが、教えを乞う(こう)側の姿勢が、これまで以上に重要になってくるように思います。 貪欲(どんよく)であり続けること、そして無用なプライドは脱ぎ捨て続けること。 『特定の親方を持たない』ということは、逆に考えれば『特定の〈師〉に縛られず(しばられず)教えを受けられる』という立場なのですから、そういう意味では、私のような古い職人よりも優位な立場になっているようにも感じます。 こうやって、(長女の進路の話から)『今の時代の職人の在り方』というものに思いを寄せてみると、私自身は “そんなに悪い時代でも無い。” と思います。 古い時代の職人世界の中でも、手を抜き、気を抜き、まるで無価値のような(自称)職人も目にしてきましたし、逆に、この時代にも大きな犠牲を顧みず(かえりみず)、修行に邁進する若者も知っています。 いつの時代に職人として生きるとしても、結局は本人次第。 あとは・・・それを陰で支える家族や友人たちの存在。 それは古今東西、変わらない、職人として生きる根っこ部分のような気がします。
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