継承。受け継ぐ、ということ。
職人にとって『親方』とは、文字通り『親』に近い感覚(存在)で、単純に『社長と従業員』というものとは、ちょいと違います。 『職人として生きて行くための、全てを教えてくれる存在』と、大仰に言ってしまえば、そうなるでしょうか。 単純に技術的なものだけではなく、物事の考え方や、仕事に対する姿勢の在り方とか、そういうものを時間をかけて教えてくれる存在。 だから、自分の場合は『20年間、育てていただいた。』という表現が適切かと思います。 特に、私は埼玉から高校卒業と同時に親戚も知人も(もちろん友人も)誰一人いない京都へ来たわけだから、まぁ・・・とにかく厳しく育てていただきました。
幸いにも、親方だけではなく、仕事場に出入りをしていた材木屋の親方や、運送屋のドライバーにも目をかけていただき・・・厳しく指導していただくことができました。 『満足をしてしまったら、それまでだから。』とか『とにかく、挨拶だけは、キッチリできるようになれ!』とか、今になってみれば、 “あんな若造なんて相手にしても、何の得もないのに。” と申し訳なく思うぐらい、可愛がっていただいたことに感謝しています。
自分の中での職人の在り方というか、理念とでもいうか、そういう部分でいうなら『腕(技術)が良いというだけなら、〈作業員〉で充分。』だと思っています。 仕事を精密機械のように完璧に結果を出す、というところに理想を求めるなら、職人である必要はないのかな、と。
あくまで個人的な考えですが、単に技術だけを追い求めるなら、それほど難しくはない。 ただ、『最高の職人』になるには、それだけでは到達できない。 『職人』には、人間性というものが必ず付随しているように思います。
職人それぞれに、そこにある人間性というものは違ってくるのでしょうが、少なくとも、私の『職人としての人間性』は『誠実さ』ということなのかな、と。 いや、自分の性格が誠実だと言いたいわけではなくて、親方を含めて、私を育ててくださった人々が『職人というものは、誠実でなければならない!』ということを、徹底的に教え込んでくださった、という事実。
だから今は、『教えていただき受け継いだものを、どう(絃バス屋として)表現していくか。』というものを、日々、模索していく生活です。
ただまぁ、それをこの先、誰かに継承するのかというと・・・ “職人の技術なんて、一代限りだからねぇ。” と、お茶を濁して(にごして)みる。