私が修行を始めた時、というよりも、初めて親方に会った高校3年生のときだったでしょうか? 親方に “俺が認めるぐらいの腕になったら、俺と同じだけの稼ぎ(給料)をやってもいい。” と言われました。 その時、私は実感しました。『職人は力こそが全てで、結果が全てなんだな。』と。 実際、私のオリエンテでの修行は、まさしく『力(技術力)こそ全て』のような生き様だった20年のように思います。 おかげさまで、オリエンテでの最後の5年間は、親方からの小言を頂戴する日々は継続しつつも、比較的自由に仕事をさせていただきました。
私には、特に誇れる(ほこれる)ような『肩書き』は、ありません。 何かプロフィールでも書くとしたら 『1995年 埼玉県立高校卒業』 『1995年 ヒガシ絃楽器製作所 入社』 『2015年 ヒガシ絃楽器製作所 退社』 『2015年 絃バス屋 開業』 と、4行にしかなりません。 そこから絞り出しても、『東 澄雄(=オリエンテの親方)に師事』と書き込んで5行となるのでしょうが、私の場合、おそらく『師事』という関係性ではないので、この表記には違和感を感じます。
特に海外で勉強したわけでもないし、楽器を作ってコンクールに出品して賞を獲得したわけでもないですし、弦楽器職人としては、致命的なほどに何も『肩書き』は無いわけです。 “力こそ全ての職人世界で、じゃぁ、絃バス屋の主人は、どれほどの実力なのか?” と問われると、それもまた何か特別、誇れるもの無く。 私のオリエンテでの修行時代で計算をすれば『10,000本のコントラバス製作に関わってきた。』と言っても嘘ではないですが、“親方とか二代目は、そのさらに上を行っているから、自慢にもならないよなぁ。” とも思うわけで。 『ヒガシ絃楽器製作所(=オリエンテ)』などというコントラバス専門メーカーで修行していたのですから、コントラバスが作れるのは当たり前ですし、修理できるのも当たり前で、それでなければ生活が成り立たないのですから、そこに〈特別〉も感じませんし、この店を営んでいても、ジャズやロックの演奏者が来店される以上、最低限の電気系の知識や技術を持っているのも当たり前ですし、そこに〈特別〉はありません。 結局、私の中での『職人としての立ち位置』は、どう考えてみても『平均的な職人さん』ぐらいなのかな、というところに落ち着きます。 私、意外と『突出して何かが得意』ということが無いタイプの職人で、『だいたい、どれも並か、背伸びして評価しても、そのちょっと上ぐらい。』というバランスタイプだと自覚しています。 楽器製作にしても修理・調整にしても、電気系にしても、寝る間を惜しんで家庭を崩壊させるぐらいの勢いで必死で修行すれば、だいたい、誰にでも到達できる程度のレベルです。 もっとも、〈修行〉とは、それが通常運転ですので、特に難しい(厳しい)ことでもありませんでした。 そういう意味では、やはり私は平均値なのかな、と。 ただ『平均的な職人さん』が悪いとは全く思っていなくて、逆に若いうちに身の丈にあった職人の姿を見つけ出すことができたので、その部分は、わりと気楽に修行を続けてこられたと思います。 なぜ、こんなネタを投稿したのかというと、HPの更新作業をしているときに、当店の3周年の時のコメントを見つけまして、“絃バス屋のコンセプトは『街の小さな自転車屋さん』なんだよな。” と改めて思いを確認できたので、こんなことを記してみました。
オリエンテの二代目と話をしていた時に、彼は “俺は、てっぺん(頂点)は目指さない。 その代わり語弊はあるかもしれないが、『最強の安物』を作って、世の中に出し続ける。” と、熱を込めて話していました。 “兄弟弟子(きょうだい でし)、相変わらず価値観が一緒だな。” と嬉しくもあり、今は離れて職人生活を送っているけれど、向いている方向は同じだな、とも感じたわけで。
でも、誤解のないように記しておくと、オリエンテの二代目は、世界を相手にできるぐらいの実力は、あります。
Comments