おかげさまで、絃バス屋は3周年です。
大型連休の谷間に開業記念日、全く狙ったわけではないですが、
“どうせ連休の谷間なのだから、ゆるい感じで。”
と、年々、〈ふにゃり〉とした感じになっていくようです・・・。
もっとも、そのあたりが『絃バス屋らしい』といえば、その通りなのですが。
幾度かお話ししたとは思いますが、私自身、“日本一になるぞ!” とか “世界一になるぞ!” とか、“己の腕を、世の中に示すのだ!” などという、特に何か高尚な望みがあったわけでもなく、自然の流れの中で修行先の京都から地元に帰って店を開く事になった・・・ぐらいな感覚なわけでして、“今さら気張ってみても、格好悪いだけだし、そもそも、そういう修行の仕方をしていないので、無理。” と、京都での修行当時の感覚のまま、絃バス屋は運営されています。
絃バス屋という名に使われている『弦バス』という言葉は、いってしまえばコントラバス界のスラング(俗語)のようなもので、(詳しい解説は省略しますが)この言葉を快く思わない奏者が一定数存在することも承知しております。
茶木絃楽器製作所が廃業したときにもお話ししましたが、絃バス屋の『絃』は、茶木絃楽器製作所からヒガシ絃楽器製作所(オリエンテ)、そして絃バス屋へと続く系譜として使わせていただくために、店の名前に入れ込んだ経緯もありますが、あえてスラングのような『絃バス』という言葉を使うことで、『市井(しせい)の片隅にある場末のコントラバス屋』というような、ちょっと影のある意味合いも持たせました。
この絃バス屋のモデルとなった店は、子供の頃にお世話になった小さな自転車屋です。
“おっちゃん、パンクした!”
と小学生の私が自転車を押していくと、
“またパンクさせたのかぁ〜?”
と呆れつつも、いつも笑顔でパンクを直してくれるのを、私は目をキラキラさせて、自転車の修理作業を眺めていました。
決して有名店でもない、小さな小さな自転車屋です。
私が絃バス屋を始めるときに、『この先の人生で、地位も名誉もいらないから、あの自転車屋の〈おっちゃん〉のような店にしたい』と、この店は始まりました。
おかげさまで、私の想いに賛同してくださるオーナーの方々によって支えられ、このように3周年を迎えられました。
特に大きな宣伝をするでもなく、何か新入荷の情報を打ち続けるでもなく、つらつらと日常を描き続けるFacebookを楽しんでくださっている方々にも感謝しつつ、また一年、毒にも薬にもならない面白いネタを提供できれば良いかな、と思っています。
よろしくお願いいたします。