若い職人たちに向けて

 3年前・・・4年前、それぐらい。  よく夜中に、店の仕事場に入って、楽器の調整の勉強というか、研究をしていました。      私はオリエンテというメーカーで、20年間、寝ても覚めても、嫌というほどコントラバスを作り続けてきて、それと共に、楽器の修理にも携わってきたのですが、実のところ、それほど『楽器の調整』というものの経験がなく、開業した当時は自信がありませんでした。  まぁ・・・今でも “自信があるのか?” と問われると、返答に困りますが。

   この店を開業して、しばらく経った頃、『楽器を作る・修理する』という技術レベルと、『楽器を調整する』という技術レベルが、自分の中の感覚として、“あまりにかけ離れている。” と痛感したわけで、“このままでは、この店は(コントラバス奏者から)見放されるな。” と思ったわけです。        今になるほど、よく感じますが、たとえ楽器を作れたとしても、楽器を直せたとしても、高度な楽器の調整技術がなければ、最終的に、その楽器を〈鳴らす〉という状況に持っていけないわけです。    結局、楽器を作っても、修理しても、もっといえば楽器を海外から仕入れても、調整技術がなければ『よく鳴る楽器(=その楽器の持つ本来の音色)』をオーナーとなる演奏者に提供することは、不可能なわけですね。            夜中に、23時とか24時とかに仕事場に入って、駒を眺める(ながめる)。  1時間とか、2時間とか。

 各弦が振動した時の、振動の経路を探す。  とにかく何時間も眺めて、イメージをする。      そして、そっと小さく、コントラバスの弦を弾いて(はじいて)みる。  真夜中だから、囁く(ささやく)ように。    真夜中の静寂の中で小さく響くコントラバスの音色は、弦が振動を始めて、その振動が駒を走って表板に到達して、そこから楽器全体に振動が伝わっていく、その時間経過を明確に聴きとることができる。      駒を眺めて、その振動の経路を推測して、実際に楽器を鳴らして確認をして・・・を延々と繰り返す。        そうすると、今回の写真のように各弦の振動の経路が理解できるようになります。


   これが振動の経路の基本、楽器の調整依頼にこられたオーナーに解説する時には、『国道』とか『幹線道路』というような説明をします。    これが絶対的な基準になります。    そこからさらに『生活道路』のような細い小道があって、そういう小道を明確に読み取って、上手く交通整理をする事ができれば、先日の投稿のウルフトーンなどを消したり、各弦の響きをコントロールできるようになるわけです。        

 真夜中の店で、何度も何度も実験と考察を繰り返して、自分の中にデータを蓄積していくわけです。    だから別に、私の調整技術は偶然や気まぐれでもなく、ましてや魔法や奇跡ではありません。    修練を積み重ねた上の、純粋な技術であります。        どんな業種を問わず〈職人〉といわれる人種が、いわゆる〈一般人〉と決定的に違うものは、『職人は〈努力〉の持続ができる』という事だと、私は考えています。      『器用だから、職人。』ではない。    『〈努力〉ができる。すなわち〈困難〉に立ち向かい続け、それを乗り越え続けられる人。』それが、職人。         いつも申し上げますように、職人の〈努力〉というものは『己の肉体と精神の限界を超えたところで、たとえ肉体と精神が崩壊したとしても、それでも耐え続ける。』という事です。  少なくとも、私を含めた古いタイプの職人であれば “それは常識。” と応えると思います。    そして〈努力〉は何の評価にもなりません。  職人は、結果だけが全てです。          今の、このご時世、正直、苦しいと思います。  特に若い職人たちにとっては。  でも、ここで気を腐らせているようでは、おそらく成長は望めない。  良いとか悪いとかではなく、〈職人〉とは、そういう生き物です。  やはり、安泰の生活の中では、ろくに成長はしないわけです。      今、この時、大きな旗を振って『仕事しています!』と言いにくい世の中は、逆にいえば、自分自身が楽器と向き合う良い機会なのではないかと思います。        コントラバスという楽器の調整は、理屈なのだけど、その理屈に到達するまでに、感性の〈深さ〉が非常に重要になってくるように思います。    『とりあえず駒を削って』とか『とりあえず魂柱を動かして』・・・などということは〈理屈〉ですらない。  そんなものはアルバイトでも可能な程度の話なわけで、それを『調整』などと言っているようでは、それこそ、その職人に成長は望めません。    それは何故か?  何故、それでは職人の成長は望めないのか?      答えは簡単です、演奏者はコントラバスという楽器に自らの音楽の〈深み〉を追い求めているからです。    薄っぺらい感性で良しとして仕事をしている自称職人は、演奏者の〈想い〉に共感することも、理解することもできず、その調整作業の『答え』を見つけ出すことはできません。    だから、何も新しいもの吸収することもできずに、延々と同じことを繰り返し、自己満足だけで生涯を終えます。          『感性の上澄み(うわずみ)』のようなところで仕事をしているようでは、〈商売人〉としては成功したとしても、〈職人〉としては成功しない。          この新型コロナの騒動が収束して〈新しい時代〉が始まり、もしかしたら、新しく構築されたコントラバス業界は〈職人〉ではなく、〈商売人〉を選ぶのかもしれない。    それは時代の文化が求めるものですから、それはそれで受け入れるしかない。            ただ、今はまだ、職人が〈職人〉として生きる事が許されている時代なわけで、それならば “これはこれで、自己修練の時だ!” と、ある種の開き直りを持って、踏ん張ってください。    私は、そこに、未来があると信じています。