製作・修理を含めた、いわゆる弦楽器職人のことを、芸術家と認識されている方は意外と多いですが、『芸術家』と称されるのは、あくまで演奏家の方であって、弦楽器職人は厳密には『伝統工芸師の一種』であり、芸術家ではありません。
『芸術家』とは、あくまで『表現者=自らの〈内なるもの〉を表現する者』です。 もしそれが演奏者と一緒に弦楽器職人も芸術家という立場に身を置いてしまうと、〈音楽〉という世界の中で色々と弊害が起こります。 例えば『演奏家が(弦楽器職人が調整した)楽器を通して、自らを表現する。』とすると、演奏者と弦楽器職人の、二人の表現者の〈感性〉が衝突するという現象が起きます。 さらに、あくまで極端な例をあげると、 『弦楽器職人が演奏家(の演奏)を媒介(ばいかい)して、自らを表現する。』 ということさえ、理論上は成立してしまいます。 もっとも、これはあくまで極論ですが、演奏者の感性を無視して、弦楽器職人が独自の感性を重視して楽器を調整すれば、演奏者の内面から滲み出てくるものは完全に打ち消され、その楽器の音色は演奏者の想いとは全く違った〈音〉になります。
私たち弦楽器職人は、あくまで伝統工芸師であって、表現者である演奏家(プロアマ問わず)の求めるものを100%具現化するためのサポートをする、という立ち位置である必要がありますし、それを演奏家も弦楽器職人も認識しなければ、本当に、お互いにとって最良のパートナーシップは難しいと思います。
しかし弦楽器職人が、いわゆる世間一般で認識されている〈職人〉とは違う特殊なところは、やはり技術と共に高い感性も要求される部分かと思います。 例えば、俗にいう超一流の演奏家が調整に来店されて、“○○のような音が欲しい。”とオーダーされた時に、まず瞬間的に演奏家の求める『○○』を理解し、さらに『○○以上の音』の〈答え〉を導き提供できないようでは、その弦楽器職人が、どんなに高い調整技術を身に付けていたとしても、その存在価値はありません。 そのため、弦楽器職人の音楽的感性は常に高い領域が求められます。
『高い音楽的感性を維持しつつ、あくまで演奏家(プロアマ問わず)の追い求める〈音〉に寄り添う。』という姿勢を貫けなければ、本物の弦楽器職人とは言えないでしょう。
実際に私自身の経験の中で、 “楽器を作るだけの人間に、音楽の何がわかる?!” という、心ない言葉を投げかけられた経験もありますし、 “俺たち(弦楽器職人)は神に選ばれた人種なんだ。” などと、愚者極まりない発言をしている弦楽器職人の話を耳にしたこともあります。
まぁ・・・世の中ってのは、なかなか上手くいかないものですね。
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