こういうことは『これは、おかしい!』と演奏者が声を上げなければ、もう変われない、そんな時代だと思います。
駒の足の下に板を足して弦高を上げる。
通称、下駄を履かす。
しばらく前に、この楽器の駒の交換の依頼を受けて、その時に楽器の状況を確認した時に撮影。
もう…色々と、どうしたものかと考えてしまう。
これを、数年前にコントラバス専門店で調整依頼をしたら、こうなったと言うのだから…さて…。
………解説、要りますか?
まぁ、解説をしないと、ただの愚痴になってしまうので、話を進めます。
とりあえず、この施工の〈良いところ〉を考えてみましょう。
1 駒の交換が不要で、環境にやさしい。
2駒の交換が不要で、費用を安く抑えられる。
3作業時間が短い。
4(職人側に)特に難しい技術は必要ない。
おそらく、演奏者側のメリットとしては『駒の交換が不要で、費用を安く抑えられる』というところでしょうか。
ただ…それ以外に、何も良いことはありません。
それでは、この施工の〈悪いところ〉を考えてみましょう。
1駒の足裏と楽器の表板の密着面積が減る。
2楽器本体の響きが弱くなる。
悪いところを挙げてみたところで、『楽器の音の響きが悪くなる』という以外に、楽器の強度的な問題などは、実は考えにくい。
だから『駒の足に下駄を履かせたところで、楽器が壊れることはない』ということなのですが…あまり気持ちの良いことではありません。
弦楽器職人の仕事の仕方として、私たち職人の技術は、楽器を鳴らすための技術であって、楽器の鳴りを悪くするための技術ではありません。
例外として、ロックの世界などで使用する場合には、意図的に楽器の鳴りを少なくして、マイクで集音した音を大音量で鳴らせるような設定もありますが、それでもその場合は〈鳴らない〉を明確にコントロールします。
当然、オーナーによって修理にかける予算も変わってきますので、『予算の範囲内で…』となれば仕方がないのかもしれない。
ただ、その場合は、やはりオーナーに対する説明は必要で、“何も知らされずに、気がついたら下駄がはかされていた。”というのであれば、それは問題があるかと思います。
私などは、楽器の音響特性を最優先する調整技法なので、どんな場合でも下駄を履かせることはありません。
オーナーに駒の交換の必要性を説明して、駒の交換をさせていただきます。
もう、このような問題は良いとか悪いではなく『今の時代の音楽の文化の価値観に合わない』としか言いようがありません。
だって、こんな大味の修理とも調整とも言えない施工では、明瞭な音程感も得られず、楽器は響かない。
音楽的には、なんのメリットもない。
そうは言っても、職人世界は需要と供給。
少しでも安価に問題を解決させたいとオーナーが要望すれば、それも否定できない。
こういう問題は、職人側の倫理観と共に、演奏者側の楽器に対する意識も重要なのかな、と思います。
もっとも、最終的な責任は、職人側にあると断言できますが…。