“これが新品。そして、そちらが……”
“ゴミ?”
“いやいや、使い古されてゴミのように見えるけど、それはまだまだ使えるの”
私は親方から『コントラバスの作り方』は教わったことがありません。全て、見て真似て、失敗したら叱られる。それを繰り返して覚える。そのような教育方針でした。
しかし、楽器の作り方以外は、意外と細かい〈指導〉が入っていました。
特に厳しく言われ続けてきたのが、紙ヤスリの使い方。
研磨剤がなくなるまで、徹底的に使い切ること。
最初は黒檀などの硬い材木を磨く。
しばらく使うと、研磨力が少し落ちたことに気がつく。
ここで、研磨力が落ちたからといって力任せに磨いてしまうと、均一に磨けなくなる。
そこで、その紙ヤスリは黒檀ではなく、黒檀よりも柔らかいメイプル材(カエデ材)を磨くために使う。
しばらく使うと、研磨力が少し落ちたことに気がつく。
ここで、研磨力が落ちたからといって力任せに磨いてしまうと、均一に磨けなくなる。
そこで、その紙ヤスリはメイプル材ではなく、メイプル材よりも柔らかいスプルースを磨くために使う。
しばらく使うと、研磨力が少し落ちたことに気がつく。
ここで、研磨力が落ちたからといって力任せに磨いてしまうと、均一に磨けなくなる。
スプルースは紙ヤスリの磨く方向で、削れ方が違うので、木目の向きなどを確認しながら適切に使用すると、新い紙ヤスリを使用しなくても、適切に研磨できる。
そうやって1枚の紙ヤスリを使い込んで使い込んで、最終的に紙には研磨剤が完全になくなるまで使う。
紙ヤスリを使い切ること、そこから学べることは『節約』、そして創意工夫。
“紙ヤスリを無駄に使って捨てているようでは、一人前の職人になれないし、独立して自分の店を経営しようなんて無理だ”
ということを、親方から何度も言い聞かせられました。
製作コストということを考える。
そのために “どのように使えば、効率よく最後まで使い切れるのか…” と考え続ける。
そうやって『考える職人』が育つ。
『伝統』などというと、すごく大きな流れの中で〈継承〉が行われ、それこそ免許皆伝のような凄いものが与えられるような印象がありますが、実際には日々の親方と弟子の小さな出来事の中から〈継承〉は行われます。
だからこそ、修行には時間がかかる。
ほんの数ヶ月、数年やったぐらいでは〈修行〉にはなりません。
たった紙ヤスリ1枚を使い切れる〈技術〉を身に付けるだけでも、毎日8時間楽器を作り続けて、それでも数年かかります。
一見すると華やかな職人世界ですが、実は非常に地味な事柄の積み重ねで作り上げられている世界ですから、それこそ誰かに自慢できるような事柄は、ありません。
今の時代、このような『小さな事柄を積み上げながら、時間をかけて成長をする』という修行を行なっている職人は、おそらく、少なくとも弦楽器職人の世界においては、ほとんど居ないでしょう。
結果、伝統を知らない伝統工芸士が蔓延することになります。
この先20年後、おそらく日本の弦楽器職人の、ほぼ100%が伝統を知らない伝統工芸士になるかと思います。
好むと好まざると、それが〈常識〉になってくる。
伝統を知らないということは、思考が刹那的になる。
過去を知らないから、未来に思いを馳せられない。
目の前にある〈歴史〉は、数字でしか理解できない。
目の前にある〈歴史〉の〈重さ〉を理解できなくなるでしょう。
すでに、この業界の思考は非常に刹那的で、〈伝統〉と〈継承〉の意識は非常に薄いように思います。
それは、職人と演奏家との関係性からも感じ取れます。
〈文化〉を支えることは、ある意味、〈伝統〉と〈継承〉を守ることに繋がります。
しかしながら、現在、職人たちが〈音楽〉を知らなさすぎるし、興味を示さない。
その証拠の一つが、やはり『電気系の仕事ができるコントラバス職人が出てこない』ということでしょう。
もはやピックアップマイクを無しで仕事をしているコントラバス奏者の方が少ないでしょう。
そして、“私はオーケストラだから、ピックアップマイクは関係ない” と言われる人がいるかもしれませんが、大きなイベントではマイクで集音しますし、テレビや映画のBGMだって、あれは『録音されたもの』ですから、演奏者自身は何もしなくとも、その向こうには音響エンジニアがコントラバスのサウンドを作っているわけです。
自分の責任で音を作っていないだけで、誰かが責任を持って音を作り、聴き手へ送っているのです。
そんな現状なのに、職人たちは何もしません。
これを『〈文化〉を支え、〈伝統〉と〈継承〉を守る意識は非常に薄い』と言わずして、なんと表現しましょうか?
この音楽の文化、コントラバスの文化を支える中心は、やはり演奏者です。
いつも申しあげますように、職人というものは、あくまで需要と供給です。
演奏者が声を上げなければ、職人はやる必要がありません。
職人たちが自身の研鑽を怠けたがゆえの文化の崩壊という側面は否定できません。
しかし、それと同時に、職人に対して声を上げなかった、要求してこなかったという演奏者側にも、少なからず問題がある。
それは事実であって、ここからコントラバスの文化を盛り上げていくには、職人と演奏者が両輪となって回っていかなければ、どちらかが急回転を始めた見たところで、真っ直ぐには進みません。
だから、どちらかが頑張れば良い、ということではありません。
伝統と継承は、小さなことの積み重ねの上に成り立っています。
今大切なことは、職人と演奏者が、まず、ちゃんと〈音楽〉を語り合うことだと感じています。
それがなければ、そもそも演奏者に寄り添った〈音〉などを作るのは不可能なのですから。