『鳴らない楽器を上手く鳴らして演奏するのも、実力のうち。』ということを、よく耳にする機会があります。
ある意味正解で、ある意味不正解。
演奏者の視点から考えれば、それは〈修練〉として美徳にもなりますが、弦楽器製作者からの視点で考えれば『自らの未熟で不完全な調整技術の責任を、楽器と演奏者に擦り(なすり)付けている。』というように感じる部分もあります。
実際問題として、楽器の設計上の問題で、例えば胴の深さ(横板の幅)であったり、全体的な大きさであったり、そういう部分で一般的な楽器に比べて『(普通なら)出るはずの音(響き)が無い!』とか『(ある一定の音に対して)過剰に反応してしまう』という、どこか調整だけでは対処できない個性の強い楽器もありますが、そういう楽器に限って、それこそ『楽器を上手く鳴らして演奏するのも、実力のうち♡』という言葉に真実味が出てくるのかな、と思います。
『ウルフトーンは消せない』ということも、弦が振動して駒を通して表板に伝わるという物理的現象を適切に読み解くことができれば、『ウルフトーンは消せる』わけです。
ウルフトーンは、呪い(魔法)ではないので。
結局、一般的に『ウルフトーンは消せない』という答えを導き出すまでに、それを断言する職人は “考えて、考えすぎて、発狂寸前まで自分を追い込んで、そこで得られた結論なのか?” と、まず自らを問うべきです。
少なくとも、私のような “サボるの大好き♡” と言い切る職人ですら、そのような自らを追い込み続けることを当たり前とした修行を18歳から積んでいるのですから、それぐらいの〈努力〉と〈研究〉は当然であり、その上での結果であるなら、その明確で理論的な理由をにオーナー(演奏者)に示して『ウルフトーンは消せない』と自信を持って言うべきです。
なんの考えも研究も努力も無しに “ウルフトーンは消せない。” と言う職人が、もし仮にいるとすれば、それは修行もせずに『他人の褌(ふんどし)で相撲を取っているようなもの』です。
私は『ウルフトーンは消せない』というのは、あくまで弦楽器職人の認識の甘さと、研究と技術修練の努力に対する怠慢だと考えています。
本物の職人にとっての〈努力〉とは『肉体と精神が崩壊する、その限界直前まで自らを追い込む(追い込み続ける)』こと、それ以外は、〈努力〉とは認められません。 職人にとって、最強の武器は技術力ではなく、強靭な忍耐力です。
少なくとも、よほど潜在的に問題を抱えた楽器でなければ、ウルフトーンは調整技術だけで消すことは可能です。
コントラバスという楽器は、ヴァイオリンほど製作技術も修理技術も確立されていません。
そもそも、大きさ(サイズ)も統一されていません。
そのことは多くの演奏者に認知されているわけで、それを考えても『調整技術も確立されてない』ということは、わかります。
単純に、楽器の大きさが変われば音の響き方も変わり、それによって調整方法も変わるのですから。
駒の立て方にしても、実はヴァイオリンと同じように立ててしまうと、本来、その楽器の個体が持っている性能よりも、確実に音は弱くなります。
インターネット上で、よく見かける『駒の立て方(足の削り方)』は、あれらはコントラバスには最適ではありません。 あれはバイオリンの駒の立て方を、そのままコントラバスに流用しているだけです。
(もっとも、それを参考にDIYで駒を立てるとしても、楽器の強度的に問題があるわけではないので、そういう意味では、記事を参考にして挑戦することを否定するものではありません。)
いつも申し上げる通り、大切なことは、自分の楽器を預ける弦楽器職人と、よくコミュニケーションを取ることだと思います。
特にコントラバスの調整技術は、日々、進化し続けています。
職人から、ちゃんと話を聞いて、ちゃんと自分の意見を述べて、ちゃんと納得をして楽器を預けて、納品の際に、ちゃんと最終確認をする・・・という段取りを踏まないと、なかなか納得のいく調整に至ることは難しいと思いますし、結局、無理をして楽器を鳴らすことになり、身体と楽器に負担をかけることになります。
楽器に合わせた調整を、そして演奏者に合わせた調整を。
演奏者に合わせた演奏方法があり、楽器に合わせた演奏方法もあり。
だから『鳴らない楽器を上手く鳴らして演奏するのも、実力のうち。』というのは、ある意味正解で、ある意味不正解ということです。
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