しばらく前の話ですが、常連さんのソロコンサートに行ったときに、“楽器と人間の距離感って、やっぱり大切だなぁ。” と、演奏を聴きながら感じたわけで。 演奏者が自由に表現をして、それに対して楽器も、楽器自身が鳴りたいように自由に響いているのだけど、楽器と演奏者の間に対立がない。 お互いにストレスを感じていないわけです。 もちろん、楽器を自由に響かせながら、それを上手く御しつつ自らの表現へと繋げてしまう演者は、当然のように凄腕なわけですが。 楽器の調整は、あまり(極端に)演奏者に合わせてしまうと楽器の鳴りが窮屈(きゅうくつ)になりがちですし、逆に楽器に鳴りたいように自由にさせてしまうと、演奏者が制御できず大変なことになります。 大切なことは、お互いの言い分を聞いて、ちょうど良いところに落とし込むことです。 あくまで私個人な感想ではありますが、最近のコントラバスの調整の方向性は、どちらかというと演奏者の要望に(多めに)寄せて仕上げられた楽器が多いように思います。 徹底的に演奏者に合わせた調整というものは、確かに演奏しやすいのですが、総じて〈楽器の鳴り〉は弱くなる傾向があるように思います。 弦楽器職人は、楽器の代弁者です。 その楽器の設計思想や、これまで調整されてきた痕跡などから、本来、その楽器が鳴るべき音、〈楽器の言い分〉をオーナーへ伝えます。 すると、オーナーからは “ここは、もう少し響きが欲しい。” などと要望があり、それを弦楽器職人が “もうちょい、響きが欲しいと言っているんだけどね。” と楽器に伝えるように調整をしていく。 その〈会話〉を繰り返すことで、楽器の調整は完成していくわけです。
“楽器が鳴らないのは、自分の演奏技術が未熟なだけかと思いました。” と、調整後に話されるオーナーもいらっしゃいますが、それは単に調整不足というよりは、弦楽器職人を介しての楽器との会話が少なかったのかな、と思います。 そうやって楽器と人間と、お互いの思いを認め合うことができるようになると、程よい距離感ができて、ソロなのにデュオのような不思議な音楽の空間が広がるという。 楽しませていただきました。
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