京都での修行時代、盆と正月には地元(埼玉県)へ帰省していたわけですが、私は最後の最後まで、京都の自宅へ帰ることを『京都へ戻る』と言っていました。
それこそ修行を始めた10代後半から20代前半にかけては、まだ感覚的に『京都へ帰る』ではなく『京都へ戻る』でしたが、実際のところ、結婚して子供も生まれて家族も増えて、人生の半分を京都で過ごすようになってくると、本音を言えば、私の心の中では、もう『京都へ戻る』ではなく完全に『京都へ帰る』という感覚になっていました。
東京駅から新幹線に乗って、京都駅で近鉄京都線に乗り換える。
しばらく走ると右手に東寺の五重塔が目に入ってきて、それを見ると “あぁ、帰ってきたな。” と思うわけです。
ただ・・・実際に “帰ってきた。” と口に出してしまうようになったら、私は独立をして地元に帰るという思いを、無意識のうちに、完全に捨て去ってしまうような気がしました。
私の中で、明確に独立の意思を固めたのは、オリエンテを辞める2年ぐらい前だったと思います。
それまでは、どちらかというと、もう独立はせずに、二代目の片腕として職人の一生を終えるつもりでした。
そういう意味では、自分の中では、ほとんど独立の可能性は薄くなっていたのですが、人生、何があるのか、わかりませんね。
そして不思議なことに、今では私の感覚の中で『京都に帰る』という『戻る』ではなく『帰る』という意識が強くなっています。
私の職人人生にとっては、間違いなく京都は地元なのです。
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