“悪質な調整だ。”
と指摘されてしまえば、おそらく否定できない。
そんな話題。
先日、倒れた魂柱を立てるという依頼がありました。
そこで、魂柱を立てる。
…何かが、おかしい。
魂柱を立てた時の、手に伝わってくる感触が、おかしい。
楽器の中に鏡を入れて確認をしてみる。
全く、表板の裏側に合っていない。
でも、裏板側は、合っている…。
“そりゃぁ、弦を緩めたら魂柱が倒れるよね。”
と言いたくなりますが、問題は、裏板側は合っているのに、表板側は全く合っていないということ。
すなわち、演奏者から見えるとことは、きっちりと仕上げて、演奏者から見えないところは、全く仕上げていないということ。
例えば、表板側も裏板側も会っていないというのであれば、技術の未熟さの可能性も考えられますが、写真3枚目をみると、裏板側は正確に合わせたという確認できます。
この状態では、まず音量がでない。
駒の振動を上手く表板へ伝達できないので、音量が出せません。
そして、音の輪郭が出せない。
駒の振動を魂柱を通して裏板へ伝える。
裏板は、音の輪郭を作るわけですから、裏板が振動しなければ、音程感のある響きを得るのは難しくなります。
状況確認をした後、表板の内側に合わせて魂柱を削って立てました。
以前にも、駒の足裏の件で書きましたが、悲しいことに、いまだに悪質な調整というものは存在します。
このような問題を無くすには、職人の倫理観は大前提としても、やはり演奏者と職人のコミュニケーションが重要なのかなと思います。
職人がこのようなことをやってしまったら、コントラバスという文化は一気に衰退します。
結局のところ、音楽の文化を守ろうという意思よりも、目先の利益を追求した結果が、これなのでしょう。
なかなか悩ましいですね。