必要があるのか?

『職人が、〈音楽〉というものを知っている必要があるのか?』

 そんなテーマを(?)、店を閉めてから、ボ〜ッと考えていて。



 昔々、もう20年以上前の話ですが、音楽大学に進んだ後輩に “楽器を作るだけの人間に〈音楽〉の何がわかるんだ?!” と言われたことがありまして。

 あれは、なかなか衝撃的な出来事で、いまだに無意識に思考を回すときに、ふと思い出します。



 あの時の彼の一言は、今になってみると、一部は正解で、一部は不正解のような気もします。




 私も一応、京都時代には中学校の吹奏楽部の外部講師をしていたこともあるので、少なからず『音楽』というものを知っています・・・という話ではなくて。

 仕事柄、日頃から様々なジャンルの音楽を聴いて『音楽』というものを知っています・・・という話でもなくて。


 そうではなくて、この『音楽を知っている』というのは、音楽というものに対しての〈情熱〉、いわゆる熱量であったり、〈深み〉であったり・・・もっと抽象的な表現をすれば『音楽というものの可能性』というか、その〈想い〉を知っている、というような次元の話で。




 これから楽器を始めるという希望に満ちた想いも、

 ひたすらに情熱というか、激情のような真っ直ぐさで突き進む吹奏楽部の子供達や、

 信念と迷いの間で揺れながら必死で自らの音楽と向き合う若者とか、

 成熟の中で、さらなる深み潜り込むベテランとか。


 それぞれの〈音楽〉というものとの向き合い方や関わり方の中で生きる演奏者に対して、寄り添い誠実に向き合っていくには、やはり私たち職人の側も、自身の中にある〈音楽〉というものと深く関わり続ける必要性はあるかと思います。





 まぁ大雑把に言ってしまえば『無い袖は振れないのだから、とにかく必死で自分の〈音楽〉と向き合って気付くほかはない。』という話なのですが、なかなか、その部分に焦点を当てて話をする職人も少ないので、ちょっとネタにしてみました。


 “弦楽器職人だって、ちゃんと日頃から〈音楽〉と向き合っているのですよ。”

 ということで。




 ・・・なぁんか、上手くオチ(落ち)ていない文章ですが、大丈夫かしら?