※これは2020年に書かれた記事です。
一週間ほど前に、今年の吹奏楽コンクールの中止が発表されまして。 我が家の高校生の娘も、中学生の娘も、二人とも3年生なものだから、“どうも『引退』のタイミングが読めなくなった・・・。” などと話してます。 音楽の文化が、溶ける。 文化が『崩壊する』ではなく、『溶ける』。 ガラガラと音を立てて崩れ落ちるというよりは、アイスのように、べちゃっと溶けて潰れてしまった。 それが今現在の〈音楽の文化〉というものの印象です。
今ほど、前向きな励ましの言葉が、嘘っぽく虚しく聞こえる瞬間はないと言えるほどの、溶けっぷり。 ここで “音楽は永遠に不滅です!” なんて言おうものなら、“絃バス屋は馬鹿じゃねぇか? 気でも狂ったか?” って思いますでしょ? 何も、前向きな意思だけが〈音楽〉ではない。 後ろ向きな、絶望や悲しみ、苦しみの中にも〈音楽〉は存在するもので、〈音楽〉と向き合うのに、良い時期も悪い時期もないのかな、というのが本音です。 楽器屋の人間が言うのも妙なものですが、何も楽器を手にしているだけが〈音楽〉と向き合っているわけでもない。 私が吹奏楽部の外部講師をしていた時に、“もっと丁寧な音が出せるようになりたい。” と質問を受けた子供に対して、“それなら、日頃の動作、ドアを開ける仕草や、コップをテーブルに置く仕草、持ち上げる仕草、全てを丁寧にしなさい。そうすると、自然に丁寧な演奏ができるようになるから。” と指導していました。 音楽というものは〈生きていること〉に直結しているのですから、生活と音楽は両輪で動いているものです。 今の心の中にある様々な想いは、そのまま大切に留めておけばいいと思います。 当店のFacebookには吹奏楽部員の子供たちも読んでいることは知っているので、君たちにアドバイスをするとしたら・・・とにかく、色々な音楽を聴いて欲しいです。 吹奏楽部員って、意外と音楽を聴いていない。 演奏することばかりに気を取られていて、『音楽を聴く』という時間が作れていない。 それは私の30年ほど前の現役時代から感じていることで、現代も、あまり変わっていないように感じます。 『吹奏楽の練習用に聴く』ではなく、音楽そのものに触れて欲しいです。 我が家の高校生の娘もそうでしたが、これまでの生活では、早朝に家を出て朝練をして、夜も部活を終えて20時ごろに帰宅をする。 そんな毎日を繰り返していると、部活以外の音楽に、じっくりと触れ合う機会は少なくなります。
10代の最も感性の激しい年頃に触れた音楽というもは、時として人生をガラリと変えてしまうほどの影響力があります。 今、良くも悪くも時間があって、おそらく、学校が再開されたからといって、すぐに部活動が再開される可能性は低いでしょう。 だからこそ今、音楽に向き合ってください。 絃バス屋の投稿する、謎の民族音楽を聴いてみるのも良いし、親の持っている古いCDを引っ張り出して聴いてみるのも良い。 YouTubeにしても、普段好きで聴いている音楽の隣に、なんとなく『おすすめ』と表示されるものをクリックし続けると、自分の知らない音楽の世界に、すぐに到達できます。 時間を無駄に使うな、とは言いません。 音楽というものは、その時は、なんとなく無駄に思えた瞬間が、じわじわと心に染みてくる時も少なくありません。 今こそ、贅沢(ぜいたく)に時間を使って、音楽を楽しんでみてください。 音楽は永遠に不滅です! いやいや、そんな嘘っぽい感性の上澄みの台詞(せりふ)は言いませんけど。