吹奏楽にコントラバスは不要ですか?
- 8月21日
- 読了時間: 6分
昔から吹奏楽界では『吹奏楽でのコントラバス不要論』があって、それが近年のSNSの普及によって、より鮮明に現れてきたように思います。
ホントこれ、SNSでの大人の不毛な議論を子供たちが目にしていると思うと、恥ずかしくて仕方がないし、それを見た楽器を始めたばかりの子どもたちの心を傷付けておいて、大人たちは何とも思わないのか…と思うわけですが。
自分の演奏している楽器を “いらない” と言われたら、どれほど悲しい気持ちになるのか、その程度のことも想像できないのでしょうか?
とはいえ、その不毛な議論を少し紐解いてみると、『コントラバス不要論』は、実は『吹奏楽という音楽の性質の中で不要』という議論ではなく『コントラバスは音が聞こえないから不要』という理由で不要論を語られることが圧倒的に多いような気がします。
『音が聞こえない』というのであれば、“じゃぁ、聞こえるようにすれば良いのでしょ” というのが、今回の話のネタ。
つい先日、常連さんから昔使っていたというコントラバスを譲っていただきました。

“店の置いておくのも場所を取るし、指導先の中学校で使ってもいいですか?” とお話をさせていただいて、快諾いただいたので…フルメンテナンス。
この楽器は、ラベルが貼られていませんが、間違いなくChakiの楽器です。
しかし細かい部分はChakiではない。明らかに技術的に未熟な部分が幾つもあり、『個人製作』として好き勝手に売るならともかく、メーカーが製品として出すには無理がある。
おそらくこれは、Chakiの若い職人が個人的に作ったものを、Chakiの親方がラベルを貼らずに格安で市場に流したのではないかと推測されます。(昔は、そういうことがありました)
表裏が単板で横板が合板。
まぁ、それでも学校で使っている全合板の楽器よりは良いでしょう…ということで。
ちょうど店には幾つかの新品だけど不良品の部品があって、売るに売れないので “この際、これらを使ってしまおう” と不具合のある部品を上手く組み合わせて調整をしました。
『足先が欠けていて、仕事では使えない駒』とか『なぜか抜けにくいエンドピン』とか『ハイポジションでノイズの出る弦』とか、初心者の中学生が使うには、それほど影響がないものを選んで組み上げてみました。
こちらとしては、不良在庫を一掃できてよかったです。
“どうせポジションマークが欲しいと言うだろう” ということで、ポジションマークを埋め込んで。
当店では日頃、所沢市吹奏楽団や、お隣の川越市で活動する川越奏和奏友会吹奏楽団という社会人吹奏楽団のコントラバスをサポートしていて、そこでは、演奏者と話し合いながら調整を重ねて作り上げられた爆鳴りするコントラバスが活躍しています。
特に川越奏和の重厚なコントラバスは、吹奏楽界でも有名のようですが。
私の娘が高校時代に吹奏楽部でコントラバスを弾いていた時、娘の楽器を含め、その学校の全てのコントラバスを調整しました。
その学校は、大会などでの演奏の指導講評でコントラバスの響きを評価されることもあったそうです。
さて、吹奏楽の入り口のような中学校の吹奏楽の世界で、コントラバスが爆鳴りすると、どのような世界が見えるのでしょうか。
現在でも私の指導する中学校は、日頃からコントラバスは調整されていている上に、今回、もう一段格上の楽器を投入します。
これは非常に興味深いです。
私の指導先の中学校のコントラバスは当然、私が調整をしているわけですが、そこは私にとっても実証実験の場でもあって、子どもたちと話をしながら、日々、色々と実験を重ねています。
最近は、子どもたちが意気揚々と演奏をしている姿を見ながら“あぁ……ちょっと、やりすぎたかな……” と苦笑が出る場面も増えましたが。
こういう話は、たいがい “そんなこと言われても、近くにコントラバス職人が居ない” と言われるものですが、そもそも近くにコントラバス専門店があったとしても、残念ながら積極的に吹奏楽という音楽と向き合ってくれるコントラバス職人は稀です。
私の知る限り、特に学校教育という世界、いわゆる学販(学校販売)という、学校と契約をしている楽器店と手を組んで吹奏楽の楽器を積極的に修理・調整をしているコントラバス専門店というのは、当店と、私の出身のOrienteぐらいです。
日本の吹奏楽でコントラバスの存在の位置付けに貢献したのは間違いなくOrienteですが、その音楽教育の中の吹奏楽を積極的に支えようとしたコントラバス専門店はありませんでした。
私がOrienteから独立をして地元に帰る切っ掛けの一つに、『(吹奏楽で使われている)Orienteを、ちゃんと修理・調整してくれる職人が関東にいない』ということを、日頃から親方の嘆きを聞かされていました。
結局、“俺が独立して関東へ行く!” と二代目が言い出すものですから、“ここの後継の『二代目』が出て行ってどうするの。もういい、あたしが帰る” という経緯で私が独立となった…というわけでもありました。
そう、私の独立の裏には『コントラバス界において、吹奏楽(学校音楽教育)での地位の低さ』が理由となっていたというのは、間違いありません。
とはいえ、実際に学販というのはそう簡単なものではなく、私はOriente時代から慣れていますが、納期は短く、作業単価は低く、状況的に意地でも直さなければならない難解な修理(これは廃棄だろ…と言いたくなるやつ)とか、色々と普段の、本職の演奏家や楽器の扱いを知っている大人を相手にするようにはいきません。
そう考えると、仮に若い職人が “学販をやりたい” と言ったとしても、さて…私は、それを薦めるでしょうか………
結局『学販』というものは、“音楽教育の一翼を担っているのだ” という信念と誇りが必要なのは間違いないと思います。
それが揺らぐと、おそらく〈商売〉としてはやってはいられませんから…挫折すると思います。
そのような意味で考えると、いっそのこと私のように指導者として吹奏楽の現場に身を置いてしまった方が、現場の状況が見えるので気楽なのかもしれません。
職人側からの視点で『吹奏楽でのコントラバス不要論』を考えた時、実はその不要論の向こう側には、音楽的な話よりも、楽器の話として様々な問題や課題があって、その部分が核心、そこが大切なのに全く議論の対象になっていないという議論の軽さを感じます。
さて…そんな議論に果たして価値はあるのでしょうか。
“結局は、何の益も産まない、感性の上澄みだけの議論だね” と私は思ってしまいます。
まぁ…そもそも本当に想いがあるのであれば、子供の目に触れるようなところで議論なんてしないですね。
ああいうものは、子供の入ってこない酒場の席で議論すべきことだと思います。
とはいえ、せっかくですから、職人世界での『力こそ全て』であり『結果至上主義』の価値観は、おそらくここでも多少は通用するのでしょうし、とりあえず、指導先の中学校の吹奏楽部に頑張ってもらって、コントラバスの存在証明をしてもらいましょう。
