出張修理は致しません

 当店では、本来、出張修理の依頼は受けておりません。

 そこには明確な理由があって、元々、私はオリエンテでの修行時代から『自分の受け持ちの範囲以外の場所で仕事をしたことがない。』という、完全な居職(いじょく)の職人です。      『職人』という人種には2種類あり、大工や左官のように、様々なところへ出向いて仕事をするのを『出職・でしょく』といい、指物師や彫金師、鍛治(かじ)職人のように一つの場所で仕事をするのを『居職・いじょく』といいます。  弦楽器職人も、形式としては居職になります。        私がオリエンテで仕事をしていた頃も、“ここが、お前の作業台だ。”と親方に与えられた時から、オリエンテを辞めるまで、ずっとそこで仕事をしてきましたし、仕事場の中でさえ、自分の仕事道具(刃物)を持ち歩く場所は決まっていて、それ以外で使うことは、ほとんど有り得ませんでした。      絃バス屋を開業してからも、店の奥の作業スペースから刃物を動かすことは、ほとんどありませんし、同じ店内であっても、火鉢のあたりに自分の仕事道具を持ってくるだけでも、私には非常にストレスになります。          結局、私の使用している仕事道具たちは、私が仕事をする作業範囲以外に持ち出すことに非常に高いリスクを感じるほどに、長い時間をかけて完璧に研ぎあげて、調整をした道具たちなので、そう気軽には持ち出せないのです。      そうなると、“それじゃぁ、同じ道具を揃えれば良いのでは?” と質問を受けたこともあるのですが、私が普段から使用している道具を出張用に新しく揃えるとしても、そもそもが私たちの使用している道具は、それこそ鍛治職人が一つ一つ手作りしたものですので全く同じものは存在せず、それぞれに個性があり、それが結果として私の〈仕事〉に大きな影響を与えます。

 そして、それ以上の問題として、新しく手に入れた道具は、何ヶ月もかけて、理想の研ぎ上がりに仕上げてからでないと仕事には使えないので、それらを考えても、仮に今から道具を揃えて出張修理を始めるとしても、数年の時間が必要になります。        私のような居職の職人は、違う環境での作業は非常にストレスになりますし、使用する道具も普段と同じものは使えないので、結果的に『普段の絃バス屋としての品質の仕事は、現実的に不可能だ。』という判断から、私は出張修理の依頼は、お断りしています。    〈絃バス屋〉として依頼されて行ったのに〈絃バス屋〉としての100%の品質が提供できないのであれば、私は、自分自身に職人としての価値を感じなくなると思います。