しばらく前の話、契約している楽器店(管楽器専門店)から、コントラバスの修理が持ち込まれました。
“どうも、この楽器は弾きにくいと生徒が言うんですよ。”
と担当者は言います。
“そうだねぇ。確かに、これは弾きにくいねぇ。”
楽器を受け取って自分で試奏してみて、スタンドに置いた時に、ふと楽器に貼られたラベルが目に入った。
“あ・・・。これ、ウチの高校(母校)の楽器だ。”
自分の母校の楽器だと認識した途端に、一瞬にして20年以上前のことを、昨日のことのように思い出す。
“うん。確かに、この楽器は弾きにくかった。そして、この楽器はエンドピンの棒が曲がっていて、うまく伸びない・・・ほらね。”
そうやって、エンドピンの不具合を言い当ててみせる。
まさに、その当時の自分を悩ませた張本人(楽器)が、目の前にいる。
以前から、修理依頼を受けている楽器店が自分の母校(高校)の担当をしていることは知っていたし、それは現役時代から変わっていないので、
“いつか自分の母校の楽器を修理する日も来るかもしれない。”
とは思っていましたが、意外と早く、その楽器は目の前に現れました。
何が感慨深いって・・・その当時『弾きにくい』と思っていた楽器は、コントラバス製作者としての経験を20年以上積み上げてから弾いてみても、『やっぱり弾きにくかった』というところでしょうか。
『弾きにくい・弾きやすい』というのは、コントラバスを始めたばかりの高校生の頃でも感じることがあって、自分は、その感覚に対して、
“単純に、演奏技術が未熟であるから弾きにくく感じる、というわけではない。”
という確信を初心者ながらに持っていたし、その気持ちを今まで忘れることはありませんでした。
それが20年という時間を経て、その仮説は明確な答えを得た・・・というべきか。
学校の楽器を修理や調整をする場合、一番重要視していることが『弾きやすさ』と『音の出しやすさ』ということ。
それは、自分が高校時代の初心者だった時に、演奏していく上で楽器に対するストレスの大きな部分が、『弾きにくい』と『音が出しにくい』ということだったから。
だから “そこで子供たちには挫折を味わって欲しくない。” という思いは強くあります。
ちなみに、この楽器は、あまりに弾きにくかったので、現役時代には殆ど弾いたことが無く、私は違う楽器を使っていました。
そして、その私の高校時代の愛器は、自分が卒業して間もなく、後輩が思いっきり転倒させて粉砕してしまったという・・・。
その後、その楽器は修理されることもなく廃棄処分となった・・・という悲しい噂を耳にしました。
