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一歩踏む出す勇気は欲しい

 奇妙な話ですが、40代も半ばを越えてくると、どうも『学ぶ力』の衰えを感じます。

 単純に〈学習能力〉が落ちるということとは、少し違う印象です。


 たとえば、コントラバス(≒楽器)のことや、音楽のこと、電気系のことは、まだ学べば学ぶほど知識を深めることはできますが、これまで触れてこなかったことを初めから学ぼうとすると、非常な労力の必要性を感じます。


 結局、これまで学び続けて、積み上げ続けた経験があれば、その分野に限っては新しいことを学んでも、これまで通りに習得できる。しかしこれまで全く経験のない新しいことは、なかなか身につかない。

 まぁ、これは単純に『老化』ということなのでしょうが、見方を変えれば、職人としては、これまで積み上げてきた技術の修練と経験が〈結果〉として現れ始める年代なのでしょう。



“20代後半から30代半ばまでは、多少の犠牲を払ってでも、修練に時間と努力を費やした方が良い。”

 これは私の経験で、若い演奏家や職人たちに伝えることです。

 この時期が、一番、集中力と吸収力がありました。


 一つは、人間的に落ち着きが出て物事を広い視野で捉えられるようになる年代であり、また一つは、少々無理をしても耐えられる体力と精神力がある時期です。

 要は、何かを激烈に学ぶには、ちょうど良い肉体と精神のバランスが整った時期です。



 学ぶべき時に学ぶことができないと、後々(職人としての)成長に限界が来る。

 努力をすべき時に努力ができないと、後々、努力に付随する〈忍耐〉ができなくなる。




 私は、これまで幾度か書いたように『弟子は取らない』と決めています。

 ただ、若い職人に技術や情報を提供することには、何のこだわりもありません。

 私には〈秘伝〉はありません。


 最近、“弟子を取らないのであれば、若い職人向けに技術講習会でも開いたらどうだろうか?”と、提案をいただくことがあります。

 でも…私は思うのです。金を払って学びに来る奴は、その程度だ(成長はしない)…と。


 金を払った方が、気楽なのです。“金を払っているのだから、教えてもらって当然。”ということになります。

 おそらく、それでは多くのことは学べない(吸収できない)と思います。


 私はこのFacebook上でも、職人向けの技術論を多く公開しています。

 そもそも、何か教えるのに、私自身が儲けるつもりもありません。

 教えて欲しいと言われれば、幾らでも教えます。

 そう、“教えてほしい。”というアクションだけは、必要だと思います。


 私の技術や経験は、幾らでも公開します。

 ただ、教わる側の“教えてほしい。”という何かしらのアクションは必要だと考えています。

 電話をかけてくるも良し、Facebookのmessenger経由でも良し。

 せめて門だけは、自らの意思で叩いてもらいたいと願っています。


 そういう意味では、一方的に与えられる無料の講習会というものも、(職人世界に限っては)あまり意味はない(成長は得られない)と私は感じます。





 学ぶ意思のない人間に伝えても、それは時間の無駄です。

 無駄なプライドにしがみ付いている人間に、教えるものなどありません。


 学ぶべき時に学ぶことを放棄して現状に満足していると、必ず職人としての限界は来ます。




 現在は、私よりも、ずいぶん若い職人が多くなってきましたし、そもそも私は同世代たちよりも古い形式(価値観)で育てられた職人です。

 おそらく、私のような価値観は、私の世代で終わりを告げます。

 しかし、人間の肉体的構造は変わらないのですから、新しい時代の職人たちも40代半ばを過ぎれば、その先は若い時代に得てきたものだけで勝負していくことには変わりません。



 若い時に得られるものは、少々恥をかいてでも、それを得る努力はすべきでしょう。

 そもそも、若い時には『かく恥もない』ということを自身で認めるべきです。



 今、おそらくコントラバスの文化は色々な部分で危機を迎えています。

 私にできることは少ないですが、必要とあらば、幾らでも技術供与する心構えは常に持つようにしています。


 需要がなければ、無理に供給もしません

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