ファンレター

以前から、ファンレターをいただくことが、よくありまして。    Facebookのメッセンジャー機能を使って。      問い合わせでもなく、注文でもなく、ファンレター。  日本全国から。   “いつも楽しく拝読させていただいております。” のような、励ましのお言葉をいただきまして、嬉しくて嬉しくて、とても感謝しております。  (返事が遅れることが多いのは、申し訳ございません・・・。)        元々、どちらかというと当店は地域密着型を目指して始めたので、いまだにメールアドレスも公開していませんし、HPの方でも問い合わせフォームのようなものは作っていません。 “だって・・・地球の裏側からメールをもらっても、対応できないし。” という感じで。      そうはいっても、このFacebookなどは日本国内だけではなく全世界に公開されていて、実際、地球の裏側(海外)からのファンレター(?)をいただくこともあります。       

     なんでしょう・・・・・・以前から申し上げていることですが、ここ(Facebook)に投稿される記事は『店の火鉢の前で話し込んでいるような雰囲気で』というコンセプトで書かれています。  実際、今も火鉢の前で文章を制作していますが。      それと、読み手に実際の『距離感』を感じさせないように配慮しています。  だから当店の記事に『ご来店ください。』という言葉や、商品の価格提示というものは、非常に少ないです。  『詳しくは、お近くの専門店へ、ご相談ください。』という表現も、同じ理由です。       “本当に来たければ、遠方からも来るはずだ。” と言われることがありますし、実際に、当店のある埼玉県へ、北は秋田県・岩手県から、西は静岡県、さらには愛知県からご来店いただくことも、ございます。    その熱量、当店に対して期待してくださることに非常に感謝しておりますが、やはり、だからと言って、その〈熱量〉を標準としてFacebookの投稿の記事を書くのには、ちょっと難しく感じます。          そもそも、私にとってFacebookは『商売のためのツール』というよりは、『日々の仕事の息抜き(=常連さんたちとの雑談・音楽談義と同じ)』という感じで使っていますから、やはり、火鉢を前に、(商売抜きで)とつとつと話をするように書いた方が、自然のような気がします。            今、新型コロナの騒動で、音楽家の仕事が無い。  うん、当店も、無いです。    全く無いというわけではないですが、騒動前は毎日のように、ご予約をいただいていましたが、今は、その半分以下です。        でも、気の焦り(あせり)というものは、特に無いです。    私、もっと絶望的な世界を歩んできましたから。  あの、修行の最初の下働きの丸4年間。      あの18歳から22歳までの、特に最後の1年間の絶望に満ち溢れた生活は、私の人生の中で、あれほど惨め(みじめ)だと思える時期は、ありません。      高校を卒業して修行に入る。  具体的なイメージはなくとも、なんとなく〈職人〉というものに対しての憧れとか希望がある。  それ、最初の1年で崩壊する。  初年を含めて3年間ぐらいは、耐えられる。      そこからの1年、もう本当に、京都に何をしにきたのか、さっぱり解らなくなるわけです。  ず〜っと、雑用。      かといって、仕事の時間内の100%が雑用というわけでもなく、雑用の合間に、楽器製作も少しだけ許される。    でも・・・そんな1週間で数時間にしか仕事道具を手に持つチャンスもない人間に、他の周りの職人と一緒に仕事ができるレベルになるはずもなく、“こりゃ、使えない。あっちで材木でも切っておけ。”と、親方に追い返される。    これが一番、精神的に辛かったです。    全くチャンスが無いのであれば、まだ覚悟もできるけど、ほんの少しのチャンスを与えられて、そこで結果を出せずに、また雑用へ戻される。  それの繰り返し。          あの、夢も希望も期待も失って、絶望しかない世界で、それでも意地で踏ん張ってきた時代と比較すると、今の、この閉塞感漂う時代も、苦痛に感じません。      むしろ開き直ってしまって、『閉店に追い込まれるときは、潔く(いさぎよく)腹を切る。』ぐらいの感覚です。        それこそ、下働きの時代は『ここで辞めても、何も無い。』という感じでしたが、今となれば『ここで辞めても、何かあるだろう。』と思えるだけの、心の余裕も生まれています。    もっとも・・・金銭的には、独身時代と違って、女房と子供4人を養わなければならないので、現在の方が大変といえば大変ですが、それもなんとか、どうにかなるでしょう。        だから、新型コロナの騒動前と、現在では心境の変化も、絃バス屋としても何かが変わるということもないので、いつも通り、どうでも良いネタを、ぶっ込んでいるわけです。            ただ、もう一つ、職人さんっぽいことを書くとすれば、演奏者の自己表現の媒体である〈楽器〉を触れる職人が、この騒動で心を揺れ動かしてしまえば、その楽器を調整する時に、その『心の迷い・弱さ』が楽器に写り込んでしまう気がします。    それは、演奏者の心の深い部分が楽器の音色となって表現されてくるのと、同じ現象が、弦楽器職人の仕事にもある、と私は考えています。          だから、少々、困難な時代であっても、私は、いつも通りニコニコしていることを、心がけています。      そして、今、ご来店いただけるオーナーの方々から、“いやぁ〜、絃バス屋さんは、相変わらずですなぁ。” と掛けられる声が、一番の褒め言葉だと感じます。