この業界の行き着く先は

 最近、色々と考えることがあって、中途半端に吐き出してみても混乱を生じさせるだけだと思ったので、ちょっと静かにしていたのですが。  まぁ、ほとんどの思考の中心に『この先のコントラバス業界って、どうなるの?』みたいなことを置いて、悶々(もんもん)と考えているわけですが。    音楽の文化の中のコントラバスの立ち位置とか、演奏者と楽器の関係とか、弦楽器職人と楽器の関係とか、製作技術、修理の技術、職人という人種の音楽文化の中での立ち位置であったり、次世代への伝承であったり、コントラバス専門店というもの在り方とか。  この先、30年・40年先を考えたときに、私は今、どのような働きをすべきか。そんなことを考えていまして。        『職人』という人種として生きていくと、やはりどこかの段階で、継承・伝承という責務は生じてくるように思います。

 私の場合、コントラバス製作をはじめ、職人の根本を育てていただいたのは、間違いなくオリエンテの親方である東澄雄ですが、それ以外にも、私の心を支えてくださった〈師〉が何人かおります。

     私は京都で修行を始めてから独立までの20年間で、兄弟弟にあたるオリエンテの二代目にも、家族にも友人にも仕事の愚痴や弱音を吐いたことは一度もありませんでした。  独立をしてから、このようにFacebookやHPで投稿した記事を読んで、家族や友人が驚く・・・というのが、いつものパターンですね。    以前、下働きの苦労話を少し披露させていただきましたが、独立するまで大なり小なり、似たような感じで育てていただいたわけで、“下働きが終了したら、楽になった。”とかは、私の修行には無かったです。        別に『愚痴を言ってはいけない。』と約束があったわけでは決してなく、なんとなく自分の中で、“仕事の愚痴を言ってしまったら、緊張の糸が切れるだろうな。” と感じていましたし、『この苦しみを共感できる人が、いない。』という現実もありました。  間違いなく時代錯誤の厳しさの中で修行していることも自覚していましたが、かと言って、日本の伝統工芸士や宮大工や数奇屋大工などの伝統建築の修行ほどは厳しくも無いわけで、そういう意味で、『中途半端な立ち位置の劣等感』というものも、私の中でありました。  とにかく、言葉で伝えようにも上手く表現できずに『逃げ場が無い』という感じはありました。       そういう気持ちを察していただいたものか、それこそオリエンテに出入りしている材木屋の親方やチャキの親方が目をかけてくださって、いつも励ましていただき、そこで、ちょっとだけ愚痴や弱音を吐き出すことを許していただいておりました。  私生活においても、私の親の世代の職人などは、私の修行の在り方が〈常識〉であった時代ですから、私の父親の友人の大工の棟梁などは、私のことをいつも励ましてくださいました。        今、私は若い演奏家、特に20代の若手演奏家たちと話をする時間を積極的に作るようにしています。  今の時代、私の若い頃と違って、とにかく演奏レベルも上がっているし、演奏家の数も多いし、彼らが演奏家として生き抜くには非常に厳しい時代のように思います。  とにかく必死にならなければ生きていけない、そのような厳しい時代を生きていく中で、ライバルでもある同世代の演奏家に話をするわけにもいかない悶々と思い悩むことを、なんとなく『同じ業界にいるような、いないような職人のオッサンになら、話しても大丈夫。』という存在になれれば、私のことを支えてくださった〈親方〉たちから受け継いだものを、少しだけ次世代に還元できるかな、と思うわけです。        『継承のあり方』というものは、色々な形があって、重要ことは技術よりも〈心〉というか〈精神〉というか、そういう部分ではないのかなと、私の職人としての短い人生の中ではありますが、感じています。  もちろん、若い弦楽器職人が、私から何か技術的なことを学びたいと希望すれば、いくらでも技術提供をさせていただいております。

 まぁ、結局のところ、いつもお話ししますように、継承というものは、受ける者と伝える者の歯車が噛み合わなければ、成立しないという難しさはあるわけですが、だからと言って、あまり意識しすぎるのも疲れてしまうかな、とも思うわけで。