不思議なもので(価格的に)安い楽器を調整している時に、オーナーから、 “こんなに手をかけて頂いて、申し訳ないです。” と声をかけていただくことがありますが、私は高級な楽器でも廉価な楽器でも全く同じように手をかけて調整をします。 “本当は高級な楽器の方が、やりがいを感じるのではないですか?” と質問を受けることもありますが、私のオリエンテでの働きの中で、最後の数年間は最低価格帯の『HO-20』の表板の削り出し作業を、かなりの割合で、相当数を担当していました。 高級な(上質な)材料を使って設計図通りに作れば、そこそこの技術で『それなりに良く鳴る楽器』を作るのは、それほど難しくありません。 製作技術よりも、材質で鳴らしてしまうのですから。 私は当時、HO-20のような、言ってしまえば『楽器として成立する最低ラインの材料』を使用しながら、最終的に楽器として仕上がった時に、どんなに大量に削りあげても、同じ品質で、音色の個体差を極限まで均一化させることのできる製作技術の方が、職人として価値があると考えました。 それは『材木の個体差に合わせて、削りと研磨の技術を駆使することで、狙った音色を作り出す。』という技術になるわけで、結果的に、今のように楽器を調整する時に、楽器に触れただけで板の厚みを感じて、設計上で『本来は、どのような鳴りを想定されて作られたのか?』ということが自然と読み取れることを考えても、HO-20を作り続けてきたことの価値を感じています。
そもそも、私の修行先であったオリエンテは『超高品質なコントラバスを世の中に広める』ために立ち上げられたのではなく、『教育現場に質の良いコントラバスを低価格で提供する』という想いの中で、親方である東澄雄が立ち上げました。 そのため、修行を始めた頃から、 “HO-20を丁寧に作れないようでは、何を作っても(高級品)丁寧に作れるはずがない!” と、親方から厳しく叩き込まれてきました。 だから私の中では、HO-20のような合板を使用した楽器であっても『廉価版』という意識は全く存在しません。 例え、価格と材質が『廉価版』という事実があったとしても、少なくとも私は、100万円・200万円を超えるような楽器を作るときと同じ意識で製作してきました。 確かにコントラバス専門店として、高級品や、いわゆる〈オールド〉といわれる古くて価値ある楽器を多く積極的に扱った方が、その店の格式(?)のようなものは上がると思います。 とはいえ、今まで、そのように低価格の楽器に情熱を注いで作り続けてきた身としては、今さら方針転換はできません。 もし私が、低価格で廉価な楽器の修理や調整を拒絶するようになったら、それは〈職人〉として死んだも同然で、私のコントラバス職人としての価値は、もはや無いと思います。 私は、オリエンテの親方である東澄雄から多くのものを受け継ぐことを許されましたが、コントラバスのメーカーを立ち上げることはありませんでした。 だからこそ、楽器の修理や調整を通して、東澄雄から受け継いだものを表現し続けていくという責任があるわけです。 なぜ、こんなことを書いたのか? 最近、あまりにマニアックで専門的なネタを読んで、 “この店には、高級品しか持ち込んではダメなのではないだろうか・・・・。” と思われる方も、少なくないようで・・・。 『思い切って電話してみました!』とか『勇気を持って、楽器を持ち込んでみました!』とか言われたりもします・・・。
いや、そんな堅い店ではないので。
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