『楽器の調整』というものの可能性

『楽器の調整』というものの〈可能性〉というか、そんなお話。


 先日、常連さんの若手演奏家から “いかがですか?” と、常連さんの出演するライブのお誘いがあったので、のこのこと出掛けまして。 その日は、ジャズのビッグバンドのライブでした。



 その常連さんの楽器は、それこそ2年以上の時間をかけて、オーナーと相談をしながら微調整を重ね、とにかく徹底的に仕上げた楽器です。

 オーナーの追い求める音楽や、演奏の癖、楽器の性格、その楽器の音の癖も、その『お互い心に抱いている想い』を、少しずつ時間をかけて、オーナーには、その楽器のことを深く知っていただき、楽器にはオーナーの意思や想いを伝えるように調整をしてきました。



 その日、常連さんの演奏を聴いていて、ふとある瞬間 “あなたの欲しい音は、これですね。” と言わんばかりに、明らかに演奏者の意思とは別に、楽器の意思ではないかと思わせる音が、絶妙なタイミングで奏でられる瞬間が、幾度かありました。

 その音を聞いた時に、“あぁ、(調整が完璧に)決まったな。” と私は感じました。

(もっとも、それに気がついたのは、おそらく私と演奏者である常連さん本人ぐらいでしょう。)



 楽器の調整によって、徹底的に演奏者と楽器の間に〈対話〉がなされた場合、多少、演奏者が不調であったり、音の発音にミスが生じても、楽器自体が演奏者のことをよく〈知っている〉ので、“あなたの欲しい音は、これですよね?” と楽器の意思でサポートしてくれることは、実際のところ珍しいことではありません。


 それにはもちろん、演奏者自身が日々の修練を積み上げて、楽器の〈声〉を聞き取れるほどになる、という前提もあるでしょうし、単純に『楽器の調整』といっても、長い時間と手間がかかってきます。


 ただ、そうやって時間と手間をかけて調整されてきた楽器を相棒とした時、なんとも言えない幸福感が生まれるのも事実です。




 私は『楽器の調整』というものは、単純に『弾きやすくする』とか『鳴りを良くする』とか、そういう感覚では行なっていません。

 何でしょう・・・演奏者と楽器が向き合って対話をすること自体が、ひとつの〈音楽〉とでもいうか・・・そして、最終的にそれを具現化して〈音〉を作り上げるのが、調整作業とでもいうか。

 それは特に特定の音楽のジャンルに限定される話ではなくて、全てのジャンルで、同じことだと考えています。





 その常連さんとライブ終了後に話をした時に、常連さんも “今日は楽器に助けられました。” と話しておられました。



 楽器の調整って、奥が深くて面白いものですよ。